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2009年12月19日 (土)

広告業界ってどうなんだろう?

広告業界ってどうなんだろう?と思いつつ、かれこれ随分その問いを放置してきました。自慢じゃないけれど、面倒くさいことには蓋をしておくタイプだし、誰かが助けの手を差しのべてくれても、ちゃんと理解しないと、「うーん。ちょっと待ってほしい」と言ってしまう面倒くさい人間だったりする。けれど、最近、「広告業界ってどうなの?」という問いを避けられないような、さけられるような変な状況が続いて、確かに面倒くさいけれど今、一回、整理したほうがよいではという判断から、久しぶりに「ちょっと真面目に」を書いています。こんな経緯があるから、誰かに何を伝えようとするものではなく、至極わかりきったことなのだけれど、理解するために自分の言葉で置き換えていくというプロセスを書き落としていることに近く、きっと気遣いの足りない文章になると思うけれど。

□□□ウェブ VS マスの破綻□□□
なぜかここ最近になって、また「これからはウェブだよ」ってことを聞く。「今さらそれかよ」と思うけれど、きっとそれはかれこれ7年前の「これからはウェブだよ」と性質が違うものと思ってる。7年ぐらい前は、インターネットはまだ認知されていなくて、インターネット普及率の右肩上がりのグラフをどの企画書でも見かけた時代。もちろん大衆もインターネットをそこまで利用していなかったし、生活の中でのインターネットを見いだせる人も少なかったと思う。けれど、海外ではインターネットは生活を具体的に変えていて、日本でも絶対に来るという確信と手ごたえから「これからはウェブだよ」と言われていて、しかもドキドキする類であれたのだと思う。

じゃあ今の「これからはウェブだよ」はどうなのかというと、正直な話し、そんなにドキドキしない。それは、認められたメディアになっているから。広告業界にもウェブ系といわれる人たちが出現して、その人たちがブログを書き始めたのが大体、4-5年ぐらい前だったと思う。当時は残念ながら王道のマスをやっていた人たちにウェブは認知されていなかったから、「これからはウェブだ」、「そんなこと言ってたら時代についていけないよ」という議論が成立していた。私もどちらかというとウェブ系出身だったので、「そうだそうだ」とそんな流れを心地よいものとして見ていたのだけれど。そんな時代から1年、2年たってどれもこれも新しくって、毎日のように新しい手法がブログで更新されていく時代はいつのまにか終息していく。それは言いかえると誰もがウェブの重要性を認知していったということにもなると思う。

いまだに「マスは無くなる、これからはウェブだ」なんて過激なことを言う人もいるけれど、それを投げかけられていると思われる当人達は「何言ってんのこの人は?ウェブが重要なのはわかっているよ」となり、ウェブ VS マスという構造はこのポイントからは成立しなくなっているんじゃないかな。

□□□ドキドキしないのはそれだけじゃない□□□
ウェブがドキドキしないのは他にも理由がある。コーポレートサイトがあって、キャンペーンにブログやSNSが使われるようになって、しかも大衆の市民権も持っている。最近は、TwitterやTumblr、端末とインターネットの組み合わせが取りざたされているけれど、それらは「組み合わせ」であり、「新しい何か」ではないのだよなと思う。例えばTwitterはmixiとチャットを組み合わせたようなものであって、新しくはなかったりする。言いかえると情報発信とレスポンスの速度あげ、それをSNS的な考えでつなげてあげる事がポイントであって、大衆の「不便だなー」を既存の「組み合わせ」で解決してあげた結果にすぎない。更にこれらの「組み合わせ」は、すぐに消費されてしまう一面がある。それはMixiの陰りをみていて分かると思う。「これからはウェブだよ」がドキドキしないのは、「知らないと困るよ」と「誰もがそんなことは知っているし、組み合わせが出ては消えていくから大変だよ」というニュアンスを感じてしまうからなんだ。

□□□大衆から見たメディア□□□
こういうことを考えていると、大衆からみたメディアってどうなんだろうということに考えが至る。この業界にはたくさん便利な言葉があるけれど、純粋に大衆の視点で、特徴、選択の余地、面倒くささを軸に考えてみようと思う。

テレビ:テレビは見ると聞くが同時にできるメディアで、チャンネル数も少ないし、時間軸で何を見せるかがあらかじめ決定しているから、選択の余地はほとんど無い。けれども、しかし、このご時世でもテレビを見てしまう。それはテレビをつければ新しい発見があるし、すなわち面倒くさくないから。テレビだからそんなに興味がないものでも見ようと思って、そこで新しい関心を見つけることって多いと思う。ある意味とても暴力的なのだけれど、それが不思議なことに成立しているメディア。

新聞:読むメディア。選択の余地はテレビよりかはあるけれど、「無い」の方が近い。購読することも選べるし、自分の考えに従って読む記事とかを選べたりするけれど、マスメディアである以上、大衆が知るべきこと、興味があるであろうことが前提になっている。それはあらかじめ選択された情報ということ。選択された情報を選択する必要もなく取り入れられるので、テレビのようにぼけーっとしていても情報が取り入れられるわけではないけれど、面倒くさくはない(個人的には紙面と文字のサイズで面倒くさいと思ってしまうけれど)。

雑誌:読むメディア。選択の余地はちょうど有りと無しの中間ぐらいのイメージ。自分の嗜好に合わせた雑誌を選べるし、好きな特集を選べる。ただ、どのような雑誌を選択するかにおいて、確実に自分の嗜好を把握しなければいけないという、面倒くささが生じてくる。

インターネット:見る、聞く、読むメディア。なんでもできるのだけれど、自分で選択しないと先に進まない。情報はいくらでも収集できるけれど、情報の質はピンキリ。嗜好を把握しなければいけないし、情報を判断しなければいけない。だからこそ面倒くさい。

□□□インターネットは「代わる」ではなく「追加」□□□
こうみると、インターネットは確かになんでも兼ね備えている。けれど、自分の嗜好を認識していないと広がりがない。だから、面倒くさくないテレビはありがたい。最近、テレビをザッピングしていて南極におけるペンギンの繁殖の特集を、いつの間にか見ていたのだけれど、きっと新聞や雑誌で特集をしていても読まなかったと思うし、インターネットで検索なんて思いもつかない。でも、しかしながらその特集を見ていたことによって、地球温暖化によって実はペンギンが増えているなんてことがわかって、ひょっとしたらインターネットで復習しようとは思うかもしれない。それは、「何か分からないけれど、新しい知識と出会いたい」という欲求はあって、けれど興味の対象を自分で見つけてインターネットで調べらるほど、想像力豊かにはなれないし何よりも面倒くさい、自然と新しい知識を取り入れる方法のひとつとしてテレビが大きな役割を担い、その知識を補完するためにインターネットという位置づけになる。「選択の余地」と「面倒くささ」は正の相関にあって、だからこそインターネットに面倒くささは解決できないだろうし、テレビに代わる大衆にとって楽なメディアが出現しなければ、テレビは無くならないであろう思うのである。

そう考えると、インターネットという存在は、「取って代わる」というものではなくて、大衆の生活に「追加」されたメディアなのであろう。ここで勘違いしてはいけないのは、確かにインターネットが追加されて、インターネットに費やされる時間が増えた分、テレビを見る時間が減っているけれど、それは「代わった」のではなく「追加」されたということ、言いかえると、とはいえ、楽なテレビを必要としているんだ。

実は、新聞と雑誌それにインターネットの軸を書こうか、書かないか迷った。テレビはそうだなーと思うことがあったのだけれど、紙媒体は今まさに変化の真っただ中だから。ただ、言えることは、インターネットがやっぱり面倒くさいのは、検索一つしても、質の高い情報から個人レベルの戯言まで表示されて、そこでもまた選択しないといけないという点、この点、新聞や雑誌はジャーナリズム、企画力、編集力があるので、選ばれた情報だけ読むことができるし、これがありがたい。けれど、しかなしながら、紙である必要があるのか?といわれると、わからないし、インターネットと融合してビジネスが形成できるのかといわれると現状は、インターフェイスも含めてまだまだ改善の余地があるのだと思う。

後は、インターネットについて。さっきも書いたけれど今のインターネットの焦点っていかに組み合わせるかであって、それは、ブログ、SNSとかの「ウェブサービス同士」であったり、デジタルサイネージやスマートフォンとかの「ウェブサービスと端末」だったりする。きっとこの組み合わせの模索は、これからどんどんされていって、世の中はどんどん便利になると思う、その便利は大衆にとっては、スピード、検索性、携帯性だったり、企業側からすればデータだったりするのだろうけれど。

□□□で。広告業界ってどうなの?□□□
テレビは無くならない、新聞と雑誌は形が変わる(かも)、インターネットの組み合わせは増える。ここまで考えても、広告業界ってどうなの?という答えには全く近づかない、むしろ遠くなったような気がする。広告業界ってどうなの?ってつまるところは、これからご飯を食べていける業界なのだろうか?という不安が根底にあるのだけれど、広告費のいいニュースはそんなに聞かないし、大手広告会社のいいニュースもそんなに聞かない、微妙な立場の私としては、かなりビビる。じゃあ広告費ってどこからきているのだろうと思って、またとんでもないところから考えてみることにした。

世の中には物を作って、それを売ってビジネスにしている会社と、その物を届けたり、お金を将来のために運用したりといったサービスをビジネスにしている会社がある。この点、広告業界はサービスになる。では具体的にどういうことなのかというと、物を取って考えると、まず物を作るメーカーがあって、それを届ける流通があって、やっと大衆の手の届く場所に置かれる。じゃあ大衆はそれだけで商品を手に取るのかというとそうではなくて、外的な刺激があって初めて手に取る。その刺激を作るのがマーケティングコミュニケーションであり、その中に広告がある。で、マーケティングが出現すると「大衆」は「消費者」になる。

□□□じゃあ何故、広告費が減っているのか□□□
やっぱり、不況だから。ここまで書いて「それかい」と自分でも思っているのだけれど、今のご時世、物を作れば売れる時代ではなくて、物を作っても売れない時代。それは、今の消費者はもう刺激に慣れっこで、ちょっとやちょっとの刺激では見向きもしないから。けれど刺激を求めて徘徊しているように見える(これは余計か)。さらにお金投資の「見かけ倒し」の好景気もリーマンの破綻とともに破綻してしまって、そうすると、「見かけ倒し」で消費していた、消費者も消費できなくなって、それを見ている多くの消費者の財布の紐が更に閉まる。国内企業に関して言うと、物を作って海外で売ろうとしても、質が高くて、安い物は中国や韓国でも作ってて、海外でも売れない。こうなると「不況」は、もはや、ひょっとしたら、不況ではなくて「普通の状態」かもしれない。すると、簡単には売れなくなってしまって、売れないから広告費も減ってしまう。これはとても分かる。

刺激に見向きもしなくなっているのは、広告に対しても同じで、新しいメディアの広告は見るけれど、生まれた時からなれ親しんでいるテレビのCMは見ないなんてことも連想できる。それを聞いた広告主は、これからはインターネットだなんて言ってしまうこともあるのだろうな。もちろん媒体費が高いマスからインターネットへシフトすると広告費は抑さえられるだろうけれど、テレビはみるんだよ。と言いたい、繰り返しになるけれど、あんな楽なメディアは無いから。テレビが問題じゃないとしたら、広告をどう見せるか、何を誰にどのように伝えるかだと思う。HDDもあるし、ここでやっと、どう見せるかという点からプロダクトプレイスメントに辿りつく、でもこれについては書かないでおく。なんせ分からないから。どう見せるかという点で、番組の中で広告するというのはありだと思う、けれど個人的には、もっと大切なのは、刺激に慣れっこであるがゆえに刺激を求めて徘徊している消費者にいかに刺激を与えるかであって、だからこそ、どのように見せるかと誰に何をどのように伝えるかを同時に考えないといけないのだろうなと思う。消費者はCMを見るという前提で作られたCMも大好きなのだけれど、その形は変わっていくのだと思う、CMを作るのに大切な部分は変わらない、変わって欲しくないと思うけれど。

□□□じゃあ何が刺激なのか□□□
なんでこんな面倒くさいことを考えているのだろう。間違えなくここまで読んでくれている人は皆無に近いと思う。「新しい=刺激」が成り立つのであれば、新しい物が生まれている時代であれば物が売れるのは理解できるし、新しいことを生活に取り入れることが豊かさであり、それが豊かさだからそれを目指す、多くの人がこの「新しさ」を求める時代だから、流行と呼ばれるものが次々に出てくるのだろうな。今はどうなのかといわれると、さっき「組み合わせ」の話を書いたけれど、インターネットだけではなくて、「新しい」と呼ばれるものは、そうそうこの時代には出現しなくて、きっと、だからこそ「組み合わせ」でその刺激を満たすしかない時代なのだろうなと思う。そうなるとややこしいのは、大衆はその「組み合わせ」のカテゴリーでどんどん細分化されていってしまう。しかも、この細分化はおそらく既存の価値観を壊しながら細分化しているように見える。それは、「新しい」を多くの人が求めていた頃の価値観であって、細分化は価値観までも細分化してしまうから。こうなってくると、マスへ伝えるという行為が成り立つのか?というと、うーんといわざるえなくなってしまう。ここがいつも広告業界ってどうなの?という問いで詰まってしまうところなんだ。

とは言え、今がどうなのかというと、これまでの「新しさ」を求めて形成された従来の価値観があり、一方で同時に「組み合わせ」による価値観の細分化が進んでいる時代なのだと思う。従来の価値観と変化が同居しているこの状況が、これまたややこしい、例えば結婚ひとつをとっても、一般的にすべきことなのだけれど、した方がよいと思う人がいたり、しなくてもいいと思う人がいたり、したくてもできないと思う人とかいろんな組み合わせができていて、さらにメディアもそれがいいねと言ったり、そりゃないだろうと言ったり、日常でもある人はいいと言ったり、わるいと言ったり、まぁ何を信じていいのか分からない状態になってしまう。きっとこの集大成に近い物が、インターネットにあって、いくらでもそれぞれが「組み合わせ」を裏付ける情報を収集できるし、色々なウェブサービスがこれをサポートしているような気がする、SNSのコミュニティもそうだし、掲示板もそうだし、Twitterもここの特性をもっているかも。自分の求める「組み合わせ」を求めて、それが裏づけられて、だから行動すると、とんでもない結果を起こすことがある。従来の価値観からすると、「信じられない」ような事。それは従来の価値観から言うと理解不能な事件とか行動という結果に現れたり、それをニュースでみた大衆は世の中を悲観したりするのだけれど、大衆が刺激を求めて、組み合わせに刺激を見つけ、従来の価値観を細分化していく、今の時代の流れは変えられないし、きっと心折れるプロセスになるのだろうなと思う。

□□□こんな時代だからこそ□□□
従来の価値観でできた消費者という概念を変える、すなわち「新しさ」を消費者が求めていた時代にできた、消費者のニーズをくみ取り消費させるという考えを変えるという考えがあってもいいのではと思う。特にマスメディアは。大衆が細分化されている過程にあるのであれば、テレビを好んで見る人達のニーズを重視せざるえない。その判断は、実は、その他の組み合わせのある一定の大衆を切り捨てているのかもしれない。それでいて、さらに細分化された人達のニーズをくみ取り、形にしていくと、偏りがでてくる、それはゴシップだったり、クイズだったり、お笑いだったりこういうのが一つの結果なのだろうと思う。だから、ある人たちからはテレビの質が落ちているといわれたりするのだと思う。私がいつも思うのは、テレビから離れていっている人達、「テレビはなんでこんなになってしまったのだろう」という人達は、一番切り離してはいけない類の人達なのだろうなと思うのだけれど。だから、消費させるという考え方は、従来の価値観がまだある今だからこそ成立しているけれど、これから更に細分化されたら成立しなくなってしまう気がするけどな。だからこそ、個人的に、切に願うのはマスメディアが、この時代のマスの価値観を提示するという姿勢がみたい、このまま細分化されていったら、時代にも、社会にも軸が無くってしまう気がして恐いから。

□□□いい加減、整理しないと□□□
だらだら書いてしまったけれど、そろそろ整理しないとな。ここで思う、なんてへんてこりんな順番で書いてしまったのだろうと、結果としては最初に書いたように全く親切ではない文章を書いてしまった。書いた順番が変だから、今度は私にとって重要な順番で整理してみようと思う。

□刺激を組み合わせでしか満たせないこのご時世、価値観は細分化されつつ、従来の価値観も同居してる。これから更に細分化されていくのか、それとも従来もしくはなにか違った大衆をさえる価値観が生まれていくのかは、不明。

□広告業界を支える広告主は不況であり、その不況は実は普通の状態なのかもしれない。さらにその不況の発端となる物が売れない時代では、大衆は刺激に慣れっこで、国内外問わず競争は厳しく、見かけ倒しの好景気を作っていた人達もはじけてしまった。

□テレビは無くならない、新聞と雑誌は形が変わる、インターネットは更に組み合わせが出てくる(細分化が進めが位置づけは変わるだろうけれど)。

□インターネットは既に認知されている、「これからはウェブだよ」の裏には、これから出てくるであろう組み合わせに、すばやく対応するかであり、実はそんなにワクワクする類のもではない。

ここまで書いてきたのはいいけれど、結局、広告業界はどうなの?という問いに対して、その問いを投げかけさせるきっかけとなった不安、その不安の理由のわけがわからない状況が、わけがわからないと分かっただけで、こうあるべきとか、これからはこの分野でという答えは全くたどりつけなかったな。個人的には自分がわけが分からない人間になってしまったのではなく、世の中がゆっくりと変化していて、その変化は様々な分野で起こっていて、影響し合っているということが分かったのは良かったけれど。従来の形が変化してきている、だからこそ、広告も従来であることを前提にするのではなく、それ以前その変化に焦点をあてないといけないのかもしれない。

その変化で、目を向けなければいけないのが、組み合わせによる「細分化」で、バカな私には、これから更に細分化していくのか、現状維持なのか、新しい価値観による大衆化が進むのか、はたまた全く違う何かなのかは分からない。けれど、物では新しさを提示できない時代だからこそ、価値観で新しさを提示するという考えがあってもいいのではないかと思ってる。その場合は、マスメディアが担う役割は大きいし、その中での広告業界を見てみたいと思う。一方で、細分化が進めば、きっと、おそらく、広く告げるという広告は成立しなくなるかもしれないし、マーケティングコミュニケーションは、どちらかというと細分化されたグループをいかに攻略していくか、プログラムとかゲームに近い感覚になっていく。ような気がしている。

こんな事を考えても、一番最初に書いた、広告業界ってどうなの?という問いを避けられないようで、避けられる状況は変わらなくって、私も今の変化の中で、もう広告業界はいやだと言うのか、もうこの組織がいやだと言うのか、現状維持なのか、変化の中で広告の変化を考えると言うのかは、変化の中である程度の結果がでるまで、待っていられないというのが状況であり、変化があるからこそ、こういう判断をしなければいけない局面にいる人って意外と多いと思う。これが目に見えるということは、確かにその変化は存在していて、その変化の中で、広告業界から去っていく人達も、変化の中だからこそいるのだと思う。

広告の楽しみは、私にとって、企業の製品やサービスと消費者を、結びつけるためにどの角度から、どのような表現で企業の製品やサービスを伝えていくのかということを、みんなで、けんけんがくがく考えるプロセスと、それを実現するプロセスと、更にそれが実現した時の喜びなんだけれど、今の変化の中で、広告費は減って案件も減って、ひょっとしたら消費者という考えを支える、多くの人が共有する価値観はこれから揺らいでいくかもしれないし、残念ながら変化の中で去っていく人達の多くは、広告が好きな人達で、残っているのは私なんかが想像もつかないくらい頭がいい人達だけ、という変化も垣間みるようになって、やりがいがある案件を担当できるのは限られた人達で、その人達は必ずしも広告が好きな人達ではない、じゃあ私が考えるやりがいのある案件は、これからも、そもそも有り続けるものなのだろうか・・・・・

まぁ。今考えられるところはここまでだな。後は「変化」が個人にまで至った時に、考えるとしよう。

その時に、Yes I can, I can changeと言えるのか、何に対して言っているのかは、分からないけれど。

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コメント

疲れました。私の頭は、256KBのキャッシュメモリしかないので、頭に何も残ってません(笑)でも、最後まで読みました。
私的な結論ですが、新しいメディアに対応出来ない広告会社は、残念ながらなくなると思います。
Webは全てを吸収して、更に育っていくでしょう。ドラゴンボールZのセルみたいに(笑)でも、新たな敵(メディア)が現れます。魔人ブーみたいに。
広告っていうのは、ドラゴンボールの「強さに対する欲求」みたいなもので、絶える事はないと思います。
その強さにどう対応していくかが問題だと思います。やっぱり、孫悟空みたいにスーパーサイヤ人になったり、更にそれを超えたりと、成長して対応していかないと、メディアという強さに負けてしまうのではないでしょうか。
ファミコン並みの僕のCPUでは、こんな発想しかできません。
でも、長かったですけど、とっても勉強になりました。また、読み返してみますね〜。

投稿: たか | 2009年12月25日 (金) 18時14分

最後まで、ご覧頂いて本当にありがとうございます。私自身この記事は読み返したくないNO1だったりします(笑)。それにしても長いですからね。
メディアを軸に考えると、やはりウェブの存在感は巨大になっていますよね、ただ、他のメディアと比べると、生データがそのまま表示されてしまう、未成熟なメディアのような気がしています。おっしゃる通り、完全体のウェブがどのようなものかは、私にはイメージできませんが、そうなるものだと考えていた方がよいかもしれませんね。

投稿: nobert | 2009年12月28日 (月) 17時27分

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